猪木の肖像

資格試験の申し込みに顔写真が必要になった。最近まで就活してたからES(履歴書)に貼る用の顔写真が余ってたから使おうと思っていた。が、顔のサイズが3.2mm以上の顔写真じゃないといけないらしい。1mm足らず。たった1mmのために700円かけて写真を取り直した。俺はもう取り直しをしたくなかった。前ににじり寄る。ギリギリまで屈む。顔をカメラに近付ける。パシャッ。そこにはやたら顔がデカイ人になった自分が写っていた。きっと試験中、試験監督官が受験生の顔と受験票の顔写真を見比べて替玉受験がないか確認すると思うが「こいつ撮影のとき前に寄り過ぎだろ、まあ馬鹿なんだな」という印象が暫く残るくらいにはデカイ顔である。話しは飛ぶが、もしかしたら俺に息子が出来たらこの写真を見る機会があるかもしれない。「うちの親、証明写真もまともに撮れないくせに偉そうにして僕を躾けていたんだ」ぐらいは思うかもしれない。そのように考えると証明写真ひとつ、気を抜くとどのような不利益を被るか分からない。風が吹いて問屋が儲かるという格言は、人の感情変化の機微についても言い得て妙である。まあ実際のところは、試験にせよ躾けにせよ、顔写真一枚で結果が左右されるのなら、もう初めから物事の負けは確定してしまっているとも言える。泰然自若に物事に取り組むという、迷わずいけよ行けば分かるさの精神が物事に臨むときには大切となる。顔がデカイ人になっても怯まない心、すなわち猪木ボンバイエの精神である。